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【追記】スランプ

【追記部分】
分かった。取り合えず山ほど絵をみよう。あと景色。
それから、色んな話を聞いて、色んなモノを実際にみてみないと。
【追記終わり】

■完全にスランプに入りました。
技術的な部分は勿論なのですが。どちらかというと、思想的な面での問題な気がします。
絵、って、何だったかなぁと。
▼以下、絵についてなどグルグルしていることを、続きに格納。

■すみません。私信など、ちょっと遅れてしまいそうです。
ふと思ったことは、絵というのは、コミュニケーションの手段なんですよね。
写実なら、自分の好むものを、好む季節に、好む時間に描く。
いや……もっと簡単、ですかね。美しいと思ったり、感動したモノを共有するための技術。
抽象的なものなら、美しいと思ったその心を伝える、手段。
ならば、架空の世界を描く漫画イラストは、何を伝えるためのモノなんでしょうか。

自然には、ただ美しい、と思うモノが沢山あると思います。
ふと見上げた月、葉の向こうに透けて見える日光、木漏れ日、水の波紋、夕焼け。
それらは、そうなる前の物語も、その後の物語もなくて、ただそこに存在しているだけなのに、見ただけで泣きたくなるくらいに心を動かされます。
写真、ではダメなんですよね。少し、違う。写真を否定している訳ではないですが。
受けた感動を保存することは、できないんです。技術的な問題もある、かな。
けれど、絵を見たときには、それと同じ感動があると……思うんですよね。
どうして、そんなことができるんでしょうか。

絵をみるということは、描いた人の心を通して風景をみるようなものだと、思います。
桜の絵なら、桜に対して何かを想った人が絵を描いて、その目を通して伝える。
文章でもそうですよね。
桜について思ったことを述べた文章なら、それを聞いて初めて、読者は作者の視点で桜をみて、その想いを共有することができます。

けれど、それは思想ですね。
ただそこに美しくあるモノとは、なんでしょう。
月はどうして、あんなにも綺麗なのか。
なぜ、私はそれを美しいと思うのか。
そして、それは、私の今までの経験や知識が理性的に判断したものなのか。
それとも、ただ美しいのか。
そもそも、美意識……というのは……一体何なんでしょうか。
センス、美意識、感性、時代によっても違うものですよね。
時代によって違うということは、それは種族単位で存在する普遍的なモノではなく、それぞれの知識や経験から得られる感覚なのか。
モードという言葉があるように、センスというのは、多数に受け入れられてこそのものでもあると思います。
コミュニケーションの手段である以上、理解する人がいなければ、存在の意味がない。
けれども、他に存在するものでも、意味がない訳ですよね。
ならば、センス……とは、一体何なのか。
何が正しくて、何が素晴らしいのか……。
あああ、ダメですね……よく分らなくなってきた。
選ぶ私のセンスも不変ではないですし、世界の感覚も常に変わっている訳で。
ただグルグル回っているとも取れます。
けれどその中で、追い求めているもの、思い描くものが必ずあるはずで。

普遍でないから、不変なんでしょうか。
そして、不変ではいけないから、違うもの、知らないものを求めるのでしょうか。
だとしたら、感動を与えられる絵というのは、一般的でない感性を持った人の心を通して生まれたモノ、でしょうか。
けれどそれがずれすぎたら、今度は伝わらなくなってしまいます。
……頭痛くなってきた。

答えが出るような部分ではないと思うのですが……ある程度自分なりに整理をしないと、前に進めないような気がします。
心が震えるような美しさとは、一体、何、なのか。

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