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美術、芸術、エンターテイメイント

アートって、何なのだろうか。と、いうことを、私はよく考えます。
考えて答えが出せることでもないでしょうし、考えてどうにかなる部分でも、勿論ないでしょうが。
ツイッタにて色々考えさせられる呟きがありましたので、自分なりに考えてみます。
続きにてその辺りを……脱線しつつ、つらつらと書いていますが、もしも読んで頂ける場合、これが全て私の偏見による文章であり、正確な数値や文献を元にした正しい理論ではないことを前提に考えて頂けるようお願いします。
          *          *          *

まず、人にとっての「素晴らしい作品」とは何なのでしょうか。
それは、多数の人に、自身が伝えたい情報を正確に伝えられる作品であると……私は考えます。
ここには前提として、アートがコミュニケーションの手段であることが必要だと思います。
アートに関わらず、人が身体的な欲求以外の部分で行動する場合、それは全てがコミュニケーションに関わるものであると思います。
アートとエンターテイメントの違いに関しても……難しいことだとは思うんですが。


写真が一般的になるまでの時代の絵画は、写実的な作品が素晴らしいと考えられていました。さらに、同時代のヨーロッパでは宗教が生活に密接に関わっており、それらの具象的な像を、より説得力のある写実的な作品として形にすることを求められていたと思います。
そのため、この時代の絵画は、写実的な肖像、人物が理想化された宗教画などが素晴らしい作品でした。

しかし、写真の技術が一般化されるにつれ、絵画が写実的に事実を伝えることの必要性は薄れました。
さらに、革命などで社会が変わり、宗教を中心とした考え方も変わっていきます。
社会の変化、情報技術の向上により、人々の考え方も多様化し、絵画の表現も自由になりました。
それにより、表現者は「依頼主の主張」ではなく「自分の主張」を絵にすることができるようになります。
肖像画や宗教画のような確固とした形のある情報を伝達するためではなく、自身の心情、自身が美しいと思う物、自身の理想など、より具象化した情報を伝える手段として絵画を扱えるようになったのだと思います。

そして、江戸の時代の日本では、デフォルメを交えつつ諸国を描いた浮世絵、遊女や相撲取り、火消し、役者を描いた浮世絵が流行りました。
葛飾北斎の浮世絵は、産業アートの走りであるという考え方もあるようです。
理由としては、浮世絵が大衆の文化であり、多数のクライアントの購買を目的とした品であったこと。そのために、浮世絵の絵師は、大衆が求める理想像を考え描いていたこと、が挙げられるようです。


ヨーロッパの革命、日本の町人文化の開花には近いものがあると思います。
どちらも、それまで貴族、武士というパトロンの要求に沿って絵画を描いていた絵師が、より自由に自己を表現したり、または、大衆の要求を平均化したエンターテイメント性の高い作品を作るようになりました。


ここまで書きましたが、結局の所、作品の善し悪しを数値化、理論化することは難しいと思います。
事実を伝える手段であった時代なら、より実像に近く、もしくはそれをさらに理想化した作品が良いものだと判断されました。しかし、現代の美術が求める絵画は、そのような形のものではないのだと思います。
それは、感動したその気持ちを言葉にすることが難しいことと同じだと思います。
言葉というのは、伝達手段として完璧なモノではありません。アナログのモノをデジタル化するのと同じで、ある感情、思考を言葉にする際には、沢山の情報が自然と削られていってしまいます。
ただし、これは言葉がコミュニケーションの手段として正しくないということではなく、言葉がイコール情報ではないのだろうという意味合いです。

そして、その言葉にするのが難しい感情、感慨を絵に表現することこそが、現代の美術が求めることなのではないでしょうか。
だからこそ、素晴らしいと評価される作品を言葉で説明することはそもそもできないのだと。


言葉にできないことを伝えるための手段が、アートなのだと、私はそう思います。
これが、現在の私が考えうる限りの結論です。
長くなりましたが……もしここまで読んで下さった方がおられましたら、本当にありがとうございました。

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